夜の吉祥寺、長い髪の彼女を連れて吉祥寺駅南口から井の頭の方へ歩き、ビルの3階にある「サントリー・ザ・セラー」へ行った。まだ出来立てのカクテル・コンパだ。長いカウンターが曲がりくねっており、中で白ジャケット、黒の蝶ネクタイのバーテンたちがシェーカーを振っていた。私はマティーニを頼み、彼女はジンライムを頼んだ。
名前を聞いていなかったので尋ねると、「文学部のA・Y、4年」と答えた。いつもあのような掛け声をかけるのかと問われ、思わず声が出るのさと答えた。高校時代から、「昭和残侠伝」のスクリーンの高倉健に向かって、不良仲間と一緒に「ケンさん!」「ケンさん!」と声を掛けていた。池部良と連れ立ってのなぐり込みとなるや、健さんの「唐獅子牡丹」が館内いっぱいに響く、その瞬間の条件反射だった。
Aが紅テント(状況劇場)のストーリーを尋ねてくる。
「ストーリーなんか、気にしないんだよ。今、眼前で繰り広げられている状況だけを愉しむんだよ」と胡麻化し、「この世の、今どこに状況があるのか、どこにもないじゃないか。状況と云えるのはあの紅テントの中だけに存在するんだよ」とまた摩訶不思議なことを云った。「僕たちは何も考えていない。考えていない人間に状況なんて現れない。漠然と唯々諾々と生きているだけだ。だから、唐さんに今の日本の状況を教わりに行っているんだ」とまた煙に巻いた。私は自分の訳のわからぬ言葉に酔い始めていた。口調も唐に似ていっていた。
「状況って、何なの?」
「状況とはカオスから立ち上がった時に生まれるものなんだよ。四畳半の安アパートで、共同便所で、水道管から水がポタリポタリ、蛍光灯は息をしながら点滅している。湿気を帯びた万年布団、横にクリネックスのティシュの箱、即席ラーメンの袋が屑籠からあふれ出している。それはカオスなんだ。まだ状況ではない。動くこと、アジること、飛び回ること、走り回ること、狂うことから、やっと状況は生まれるんだ」、喋りながら頭の中はカオスだった。Aは何も分かっていないようだ。「よーし、一言で云おう。『もうこんな暮らしは嫌だァ!』と叫んだ時から、状況は始まるんだ」と見栄を切った。
頭の中を唐が唄う「夜鷹ソング」が駆け巡る。これはザ・ピーナツの「恋のフーガ」である。
♪パヤッ パヤッ パヤッ ドゥドビドゥアー ドゥドゥビドュアー パヤァ あの人の あの人の後姿が 角をまがって遠くなる もう振り向いてはくれないのね ああ はかなしあの夜 つかの間の色事♪
Aはやはり不可解な顔をしている。
「馬鹿だな、あるがままを愉しめと云っているんだよ。『論理はそう簡単にUターンすることはできません』」と、先ほどの劇中の台詞を使った。不満気なAと別れて、公園の中を叫びながら歩いた。
「錬金術はサン・ジェルマンに!錬眼術はメロ・ポンに!さーて錬肉術は誰にしよう」(唐の台詞)、急に田舎に帰りたくなった。
中洲次郎
昭和23年、大分県中津市生まれ。
博報堂OB。書評&映画評家、コラムニスト、エッセイスト。
RKB毎日放送「今日感テレビ」コメンテーター。
近著「伊藤野枝と代準介」(矢野寛治・弦書房)
新刊『反戦映画からの声』(矢野寛治・弦書房)