もうすぐ学生生活も終わる。
思い出せば、麻雀、結核、酒場の日々だった。雀荘は生活費のため、結核治療は保健所持ちであり、税金を使わせてしまった。酒場は大人になるための通過儀礼であり、修行の場だった。女性とはとんとご縁がなかった。
学生時代最後の思い出に「山独行」をすることにした。衝動的と云ってもいい。大学の山小屋「虹芝寮」が谷川岳の麓・芝倉沢にあり、久しぶりに行ってみたくなった。虹芝寮に「山の友に」という寮歌がある。
♪薪割り飯炊き小屋掃除 みんなみんなでやったっけ 雪解け水が冷たくて 苦労したことあったっけ 今では遠くみんな去り 友をしのんで仰ぐ空♪(作詞・戸田豊鉄)、私は大分県人だから、この歌の発想の基に広瀬淡窓の漢詩「君は川柳を汲め 我は薪を拾わん」があると思った。
谷川岳は冬は魔の山に変わるというが、それは壁をやる場合である。もちろん、壁をやるわけではない。大学の寮まで行き、もし行けるのなら雪の具合を見て、芝倉沢を登ろうかと考えていた。新宿駅から上越線土合駅まで行き、まず一ノ倉沢を目指す。曇天である。
途中、マチガ沢出合に出る。遠くに「トマノ耳」「オキノ耳」が見える。雪原となり、ここで12刃のアイゼンを装着する。愛染かつらの「旅の夜風」を唄いながら歩を進める。
谷川岳の西黒尾根の見事なパノラマが広がる。一ノ倉沢出合に着く。沢は広大で厚い雪に覆われている。いつもながら白銀の見事な景色だ。壁をやる連中だろうか、沢を登っていく。衝立岩を狙うのだろう。幽ノ沢に着く。見上げると一ノ倉の頂が見える。標識に芝倉沢まであと2キロとあった。途中、道は二股となり、左に行けば大学の虹芝寮となる。寮で昼食を摂り、熱いコーヒーを飲む。芝倉沢を見てから、行くか戻るかを考えることにした。歩き始めると、蓬沢から来たという男に出会った。蓬沢から先は雪道も荒れており、ひび割れも多いから行かぬ方がいいと云う。
水場も完全に凍っており、思案の末、もう少し進んでから引き返すことにした。アイゼンを再固定し、ピッケルをリュックから外す、ヘルメットの顎ひもを結わえ直し、手袋のリストをきつく締める。鎖場の鎖は雪に埋もれており使えない。アイゼンの蹴り込みと、ピッケルの突っ込みで、体のバランスを取り、小幅で慎重に慎重に進む。やっと、芝倉沢のとっかかりまで着いたが、左手の堅炭尾根までの雪の狭道を見上げて、諦めることにした。
少し雲行きがあやしくなった。茂倉岳にだけ挨拶をし、帰路に着いた。土合駅までの戻り道、♪山に初雪ふる頃に 帰らぬ人となった彼 二度と笑わぬ彼の顔 二度と聞えぬ彼の声♪(小さな日記)を唄いながら、就職すればもうなかなか来れないことを覚悟し、振り返り、振り返り駅に向かった。
山はいいなぁ、いつもいつも心の綻びを繕ってくれる。さらば谷川!また来る日まで。
中洲次郎
昭和23年、大分県中津市生まれ。
博報堂OB。書評&映画評家、コラムニスト、エッセイスト。
RKB毎日放送「今日感テレビ」コメンテーター。
近著「伊藤野枝と代準介」(矢野寛治・弦書房)
新刊『反戦映画からの声』(矢野寛治・弦書房)