コピー室長より、突然、一人20分間スピーチを要求された。これは長距離だ。
「じゃあできる人から、内容は何でもいい。さ、誰からでも、どうぞ」
新人は5人、お互い顔を見合わせた。どんな話をすればいいのか、皆目見当がつかない。コピー課長ほか、先輩コピーライター陣がニヤニヤしながら入室してきた。これは毎年の通過儀礼かと考えた瞬間、室長と目が合ってしまった。
「じゃあ、吉祥寺さんからいきましょう」
まだ名前を覚えてもらってない、住んでいる地名で呼ばれた。
私はまだ脳内空白のまま立ち上がり、「長距離だな」の言葉だけが脳裏に引っかかっており、簡単な自己紹介のあと、
「では、今月末の天皇賞の予想をやります。」
と、手に汗、腋窩に汗、震える声を悟られぬよう、上ずったボーイソプラノで始めた。
春の天皇賞は京都である。4歳以上の古馬で行うが、実力を最も問われるレースである。しかも3200mという長距離であるから、スタミナもしっかりなくてはならない。前年1970年度の重賞レースを制した馬でなければ、出場できない。秋の菊花賞を制したダテテンリュウが最も有力とみられていたが、それでは面白くない。そこで目黒記念を制したメジロムサシを本命と話した。
誰かが「オオー」と合の手を入れてくれた。これで落ち着いた。声もいつものトーンに戻った。本命の理由を述べる。父親ワラビーも、母親キヨハも長距離に強い。5歳馬であり、中では若い。持久力があり、3000mを過ぎてからも、二の足、三の足を繰り出せる。良馬場も重馬場も苦にしない。鞍上が横山富雄である。
横山とムサシの人馬一体感はまさにウマが合う、の言葉通りである。
「対抗は?」と、誰かから声が入った。また声が震えた。
「対抗はやはり5歳馬のシユンサクリユウか、タマホープ、しいて6歳馬で云えばスピーデーワンダーでしょう。スピーデーワンダーは鞍上岡部幸雄が上手に操るかと思います。いずれも血統から云って、やはり長距離を苦にしない。正式に枠順が決まればのことですが。ムサシが内側を取ればとるほど有利かと思います。」
ここでほぼ20分を話し終えた。
室長が拍手をしてくれ、後の人も続いた。
ほっとして、また脳は空白に戻った。本郷君がアメリカのダイレクト・マーケティングについて話していた。広告はマス広告よりも、手紙に優るものはないといった論だった。駿河台君は映画研究会だったらしく、アメリカン・ニューシネマ作品について話を進めていた。「俺たちに明日はない」(アーサー・ペン監督)の、捨て身の生き方ボニー&クライドを評価していた。三田君は感銘を受けた人と題して、福沢諭吉の「福翁自伝」にそって話し、ならばと高田馬場君は「福沢と大隈重信」二人の熱い交流について話をした。5人で約1時間40分、この長丁場をよくも先輩方は聞いてくれたものだ。
あとでコピー室を案内され、先輩方にご挨拶をし、室長の席まで来た。なんと、馬の血統書辞典が机上の本立てに数冊置かれていた。
中洲次郎
昭和23年、大分県中津市生まれ。
博報堂OB。書評&映画評家、コラムニスト、エッセイスト。
RKB毎日放送「今日感テレビ」コメンテーター。
近著「伊藤野枝と代準介」(矢野寛治・弦書房)
新刊『反戦映画からの声』(矢野寛治・弦書房)