その時、聴いていたのはモーツアルトのピアノ曲「トルコ行進曲」
令和元年十二月四日、中村哲医師が現地のジャララバードの宿舎を出て作業現場に向かう途中何者かに銃撃され、病院に移送された後亡くなりました。享年七十三歳(ペシャワール会報号外より)。
中村医師の訃報に接し、まず私が思ったのは、彼の著書を読もうということだった。選んだのは今から20年前に石風社から発行された『医は国境を越えて』である。裏表紙には、「1994年4月パキスタン北西辺境州都ペシャワールに赴任、以来24年に亘り、らいコントロール計画を柱にした貧困層の診療に携わる」と紹介されている。本を前に、読書とは広大な森の中に分け入って、一語一語大切な言葉との出会いを重ねていくことなのだと改めて思った。「行動しか信じない」「理屈はいらん」この言葉が中村医師の一貫した信念だったように思う。民族と国境を越えて診療に打ち込んだ彼のゆるぎない軸だった。
本の終わりのほうで、珠玉のようないくつかの言葉が用意されていた。「一つの事故が私を救った」。事故とは、乗っていた馬が暴れだし落馬、鞍から宙づりになったのである。「死は優しく思えた」「だが生死もまた天が決する」幸いにも助けられ「私はまだ生きなければならなくなった」。その時馬上で、テープで聴いていた曲が、モーツアルトのピアノ曲「トルコ行進曲」だった。
今年は、中村哲医師の遺書と思って、残された本を読もうと思う。
●『医は国境を越えて』
中村哲 著
石風社
2,000円(税別)
六百田麗子
昭和20年生まれ。
予備校で論文の講師をする傍ら本の情報誌「心のガーデニング」の編集人として活躍中。