「大島ラーメン あづまや福岡」
福岡県福岡市中央区六本松1‐5‐17
11:00~15:00、17:00~22:00。不定休
◎ラーメン550円 ◎チャンポン700円
再開発が進み、変貌をとげる福岡・六本松地区。その華やかな街の裏通りに店はある。モダンな外観と内観。てっきり新規の店かと思いきや、代表の三岳龍太さん(33)は否定する。「創業54年。本店は長崎県西海市の大島なんですよ」
まずは一杯を頂いた。見た目は純豚骨ラーメンだろうか。ただスープをすすると鶏だしのうま味が優しく染みわたる。豚骨4割に対し、鶏を6割使っているのも納得だ。麺は細いものの、平打ちでしなやかな食感。博多の麺とは一線を画していた。
「こんなにおいしいラーメンがあるなら、ラーメンの道に進むのもいいかも」。三岳さんは、里帰り中に父、弘敏さん(63)が作ったラーメンを食べた時のことを振り返る。当時は20代の終わり頃。福岡市の調理専門学校を卒業後、同市の中華、和洋食店などで働き、料理人としての将来を模索していた。「店を継ぎたい」。そう切り出すと、父親から逆提案された。福岡に出そう―。
弘敏さんにとっても福岡は縁深い土地だった。島を出て福岡大に進学。卒業後はそのまま地場企業に就職した。転機は26歳の頃、父親の介護でUターンした。働き口として選んだのが義理の父、三井所鉄男さん(故人)が経営する『あづまや』だった。
三井所さんは戦後、隣島の崎戸で製麺所を開業。1965年には、取引先だった大島のラーメン店『あづまや』の屋号を継いで、自らラーメンを作るようになっていた。大島炭鉱で栄えた島は客も多く、店はにぎわった。弘敏さんにとっても子どもの頃から親しんだ味。義父の下で懸命に働き、2代目として店を継いだ。
「父は支店を出したい気持ちがずっとあった。でも味、本店を守ることに必死だったんだと思う」。父親の思いをそう代弁する三岳さんは〝跡継ぎ宣言〟後、福岡市の『鈴木商店』で3年間勤務。さらに父親に弟子入りし、本店でスープや自家製麺を1年間学んだ。昨年6月、親子の念願となっていた福岡進出を果たした。
オープンから半年。島の出身者、かつての炭鉱労働者の家族たちも来るという。故郷との意外なつながりを喜ぶ三岳さんだが、違った思いも同時に抱いている。「大島のラーメンをさらに多くの人に知ってもらいたいんです」。鶏、豚を使った優しい大島ラーメン。祖父、父親が守ってきた味を携えて攻めに転じる。3代目の言葉からはそんな思いを感じた。
「毎日楽しいですが、一杯を売るのがこんなに難しいとは 思いませんでした」と語る三岳龍太さん
文・写真 小川祥平
1977年生まれ。西日本新聞社文化部記者として文芸取材を担当。
麺好きが高じて「ラーメン記者、九州をすする!」を出版。