「潘陽軒本店」
福岡県久留米市六ツ門町7-52
午前11時半~午後2時、午後5時半~深夜0時 月曜、第2日曜定休
ラーメン650円
老舗のカウンターには独特の雰囲気が漂う。ある休日の昼時、昭和23年創業の老舗「潘陽軒(ばんようけん)本店」(福岡県久留米市)に立ち寄り、その思いを強くした。
カウンター右奥では、常連らしき客がラーメンをすすっていた。すぐに別の男性客が入店し、常連の隣に腰掛けて「瓶ビール頂戴」。未明からの仕事を終えたばかりらしい男性はビールを注ぐと、隣を向いてグラスを軽く上げた。すると常連も水のコップを手にして「お疲れさん」と応じた。
この光景を見ただけで、もうおいしい気分になる。老舗のカウンターには、やはり常連さんが必須なのだ。
「常連席という訳じゃないんだけど。なぜだか端っこにね。私とも会話しやすいからかな」とは、店主の前田研三さん(61)。一見厳しそうだが、話してみると意外に気さく。勢いに任せて、70年以上にも及ぶ店の歴史を聞いてみた。
創業者は祖父母にあたる泉さん、トメさん夫婦。戦前、満州の奉天(現在の瀋陽)で中華料理屋など7店を経営していた2人だが、敗戦ですべてを失ってしまう。現地の中国人に逃がしてもらい、命だけは助かったという。
引き揚げ後、久留米の六ツ門で屋台「潘陽軒」を始めた。満州の店で料理に使っていたスープを改良。豚骨ラーメン発祥の地である久留米だが、当時はまだラーメン店は少なかった。麺はうどんの製麺所につくってもらったらしい。
大陸の味は大当たりした。昭和28年に店舗化を果たすと、20席ほどのカウンターのみの店は常に満席。あまりの人気から教えを請う人も多かった。「じいさんとばあさんは中国で助けられた。恩返しと思っていたんでしょう」。2人は彼らに惜しげもなくレシピを伝えた。店名に「本店」とあるのは、その頃、教え子たちが店を出したから。別に「支店」があるわけではない。
「ラーメン屋の星の下で生まれたからね」と言う前田さんは18歳で厨房に入った。朝から夜までずっとスープを見続け、もう40年以上。コツは「最初炊いて、『じわり』と寝かせること」と言う。
豚骨に鶏がらを混ぜたスープをすすった。口当たりはあっさりだが、獣の存在感は十分で、じわりと舌を包む。しっかり茹でられた中太麺はスープとよく絡み、麺、スープと交互に食べ進めて完食。ただ、それで終わりじゃないのがこの一杯の真骨頂だ。鼻腔に豊かな余韻が持続し、食後もいっとき楽しめる。常連がとりこにされる気持ちが分かった。
平成26年、マンションへの建て替えのため、創業店は取り壊された。約3年間の仮店舗営業ののち、マンション1階の現店舗に戻って営業している。
真新しいカウンターなのに老舗の風格が漂うのはなぜだろう。店の雰囲気に見た目の新旧は関係ない。そこに集う常連客、ラーメンと向き合う大将の姿、食べ継がれてきた味も影響しているのか。鼻の奥に残る芳香を感じながら、そんなことを思った。
文・写真 小川祥平
1977年生まれ。西日本新聞社くらし文化部。
著書に「ラーメン記者、九州をすする!」。