「花山」
福岡市東区箱崎1-44-17
17:00~翌0:30(日曜日は12:00~23:00)月曜定休
◎ラーメン 600円 ◎しろ(焼き鳥) 120円
筥崎宮の参道にある『花山』は、昭和28年創業の名物屋台だ。しかし近年、その老舗にも時代の波が押し寄せている。老朽化により、今夏限りで屋台での営業を断念した。隣接地に常設の店舗を構えて新しい一歩を踏み出したのだ。
「苦渋の決断でしたよ」。2代目の花田博之さん(63)は言う。屋台を新調する手もあったが、人手不足ものしかかっていた。通常の屋台3台分の大きさがあり、毎日の設置、撤収に計5時間かかる。その負担も限界だった。昨年、土地を所有する筥崎宮に相談。隣接地を借り、店舗化することを決めた。格子戸は再利用し、屋台を丸ごと運び入れるなど往時の雰囲気をできるだけ残した。
創業者は花田さんの父、真夫さん。魚屋を営む花田家に婿養子として入った真夫さんはある日、義母とけんかして家を飛び出し、今とは少し離れた参道沿いに屋台を出した。ラーメンでなく、手打ちうどんを提供。市場で仕入れた魚の天ぷらも人気ですぐに繁盛した。半年後に戻ろうとした際「屋台の方が儲かるので続けて」と義母に諭されたほどだ。
2年後、今の場所への移転を機にラーメン屋台に変えた。「見よう見まねで参考にした」のは箱崎にあった博多ラーメン源流の店『赤のれん』だった。働く母親におんぶされ、ミカン箱で寝かされた。屋台で育った花田さんは高校卒業後、当然のように店を継いだ。
「当時は7件ほど屋台が並んでたよ」。そんな賑わいの一方、後継者がおらず屋台を手放す人も。昭和56年にその1台を引き継いだ。平成になる頃にはもう1台分の権利を譲り受け、靴を脱ぐ座敷屋台を増設した。「従業員の休憩スペースのためだったけどお客さんに取られましたよ」と笑う。
味も改良してきた。うま味調味料をやめた。代わりに豚骨の濃度を上げ、昆布、鰹の和だしも加えた。「後味すっきりよ」と頂いた一杯。茶色がかったスープは濃厚そうだが、優しく素朴な味わい。若干太めの麺もスープとよく絡む。
食べ進めていると客とのやりとりが聞こえてきた。「若いのになんで小ラーメン?なんか食うてきたと」。「キミスイ(『君の膵臓をたべたい』)に花山が出てたので食べにきたんですよ」と若者が言うと「君で千人目ばい」と返し、笑い声が響く。
そう。花山にいると屋台とは店舗形態のことだけを指すのではない気がしてくる。空間、雰囲気も含めた言葉なのだと。変わりゆくさみしさは当然ある。ただ、花山はある意味で今も屋台なのだ。
新店舗に持ち込んだ屋台カウンターで働く花田博之さん
文・写真 小川祥平
1977年生まれ。西日本新聞社文化部記者。著書に「ラーメン記者、九州をすする!」。KBCラジオ「川上政行 朝からしゃべりずき!」内コーナーで毎月第1月曜にラーメンを語っている。