「今日はもやしラーメン?」。カウンターの常連客に畔地由美子さん(69)が声をかける。うなずく客に2代目店主で息子の貴之さん(42)が言う。「野菜もとらんといかんけんね」。何気ない会話で店内は温かい笑い声に包まれた。
地下鉄の西新駅から藤崎駅へと続く商店街通りを一歩入ったところに「味一番」はある。店構え、たたずまいには懐かしさが横溢する。この地にすっかり馴染んだ店ではあるが、以前は別の場所にあった。
創業は昭和48年。かつて西新にあったデパート「ニチイ」の開業に合わせ、その地下食堂街に入居した。初代は由美子さんの夫、博文さん(70)。ただ、経営者は北九州・戸畑で中華料理屋を営んでいた親戚だった。オープンに際し、中華の料理人をしていた博文さんが指導役として呼ばれたが、店主となるはずだった人物が辞めたため、博文さんが店ごと買い取ることになった。
ラーメンだけでなく、ちゃんぽん、焼きめしなども提供した。振り返れば畔地家にとって特別な場所だった。開業の1年後、博文さんは食堂街の別の店で働いていた由美子さんと結婚した。貴之さんは「食堂街を走り回って遊んでました」。学校帰りには父親の一杯をすすった。
ただ時代の波は容赦ない。周辺にスーパーや西新岩田屋が開業した。さらに地下鉄が開通し、天神へ客が流れた。売り上げ不振が続いたニチイは平成2年に閉店。西新ビブレとして生まれ変わると同時に、味一番も移転を余儀なくされた。
新天地は厨房が狭いため、ラーメンのみに絞った。かつての客に分かるように屋号を「ニチイのラーメン屋 味一番」としたが、由美子さんは「甘かった」。半年くらいスープを捨てる日々が続き、「西南大の前で2人でビラ配りしましたよ」。
その後、新しい客を獲得し、街のラーメン屋さんとして親しまれてきた。しかし、5年前に博文さんが病気で倒れてしまう。共に厨房に立ってきた貴之さんは「一人となると訳が違う」と思い悩んだ。1か月の休業を挟んで継ぐ決意をした。
とはいえ試行錯誤は続いた。同じ材料、作り方でも何かが違う。そんな時、意見をくれたのは常連客であり、仕入れ先の麺屋や肉屋だった。その甲斐あってか「最近ようやく安定してきました」。2代目の自負もあるのだろう。今は店名から「ニチイのラーメン屋」を外している。
厨房に立つ畔地貴之さん
豚骨や鶏がらで炊いたスープはあっさりで、博文さん時代からの香味油がアクセント。歯ごたえを残した麺を半分すすって高菜を投入する。スープにコクが出てこれがまたおいしい。見栄えやインパクトを狙ったラーメン全盛の中、この一杯は「普通」と言葉がぴったりだ。それは決してネガティブな意味ではない。
店を出て街を歩く。今やビブレもなくなった。岩田屋跡地には建設中のタワーマンションがそびえる。
変わりゆく街で「普通」であり続けるのは難しく、貴重である。
「味一番」
福岡市早良区高取1-4-1
11:00~20:00(土日祝は15:00まで)、木曜定休
ラーメン600円、もやしラーメン650円
文・写真小川祥平
1977年生まれ。西日本新聞社くらし文化部。
著書に「ラーメン記者、九州をすする!」。