トリビア
小説はいくら投稿しても、佳作にも入らない。壁にぶち当たっていたと云えば聞こえがいいが、才能がないだけの話である。壁を乗り越えずに、横に移動しようと考えた。移動しているうちに、どこか穴が穿いており、この壁の向こう側に出られるのではないか…。
月刊「シナリオ」と云う雑誌を見つけた。巻末に夏季集中講座の生徒募集があった。壁の穴かもしれないと思った。約一か月ほどの講座で、場所は赤坂TBS放送の裏手だった。45年程前の話で、記憶は曖昧である。畳の大広間で、まったくの寺子屋方式。初日に、吉田喜重監督が記念講演をした。白い外車で乗り付けてきた。車種は覚えていない。蓬髪を掻き揚げながら訥々と細い声で喋る。
「私は映画界へ行く気はなかった。友が松竹の助監督試験を受けるということで、君も受けてみないかと誘いをうけた。1000人くらい受けに来ていただろうか、二人採用された。」
500人に1人の難関を通った男だった。
脚本実技の講師は馬場当という地味なオジサンだった。まず野田高梧の「東京物語」のシナリオが配布される。これを200字詰め原稿用紙に引き写せと言われる。小説と違って、情景描写も、心理描写もほとんどない。ただひたすら会話が続くのである。
先生は女性を喜ばせるために書けと云う。男には酒があり、女もあり、博打もある。女性やお子さんが楽しめるものを書くのだ、と宣う。ストーリーを書いたらだめだ、とシツコク言う。夏目漱石の「こころ」のように。男が二人いて、女が一人、この女を二人は取り合う。これだけでドラマは生まれる。男二人の友情、葛藤、嫉妬、裏切り、破滅の心模様を描くだけで、話は出来る。ストーリーから入ってはダメ、ただ懸命に人間の欲望と理性を見つめること。すると刃傷沙汰が起こったり、罠に嵌めたり嵌ったり、自殺をしたり、ドラマは勝手に動き出す。あとは人間のトリビアリズム(細部)をしっかり描く。
しばらくして課題が出された。「旅」だった。私は母から聞かされていた中国からの引揚げの話を書いた。北京の集結所での苦労、無蓋列車で下る天津、タークー港集結所での難民の日々。7ヵ月待ってやっと引揚げ船への乗船。船底のたたみ半畳ほどに家族四人詰めさせられた地獄。亡くなった赤ん坊の水葬、鈴なりの帰郷列車の屈辱。先生は褒めてはくれなかった。これこそストーリーだと云われた。
次の課題は「川」。中学校時代、故郷の河原で高校生相手に体を鬻(ひさ)いでいた同級生の女子のことを描いた。彼女はいつも虚勢を張り、わざと明るく過ごしていたが、どこか寂しそうだった。授業を抜け出し、田んぼの畔の道を先生たちに追われていた。彼女の家の環境や、彼女の媚、髪型、セーラー服の着こなし、高校生の誘い方、しっかり書き込んだ。先生はまだトリビアが足りないと批評した。シナリオもまた、私の壁の穴ではなかった。
馬場当はそれから8年後、「復讐するは我にあり」(今村昌平監督)の脚本を書いた。佐木隆三の原作をより素晴らしい高みにまで押し上げた。
馬場 当(まさる) シナリオ作家
映画「復習するは我にあり」で、第34回毎日映画コンクール脚本賞・第54回キネマ旬報賞脚本賞・第3回日本アカデミー賞脚本賞受賞。
中洲次郎
昭和23年、大分県中津市生まれ。
博報堂OB。書評&映画評家、コラムニスト、エッセイスト。
RKB毎日放送「今日感テレビ」コメンテーター。
近著「伊藤野枝と代準介」(矢野寛治・弦書房)
新刊『反戦映画からの声』(矢野寛治・弦書房)