夜が来る
久々に大学へ行くと、名古屋から来ているYと会った。ずっとドロップアウトしており、何うしてたんだと訊くと、「今、代々木にある山野美容学校へ夜通ってる」と云う。
大学を出てどこかの会社に入り、一生サラリーマンで過ごすより、何か手に職を付けたいと云う。「サラリーマンの死」(アーサー・ミラー原作)の滝沢修が脳裏をよぎる。
食堂へ行くと北海道から来ているKと出会う。Kもほとんど大学に来ていない。Yと同じような質問をすると、「アナウンサーに成りたいから、今、恵比寿にあるアナウンス・アカデミーに通ってる」と云う。
工学部校舎の方を歩いていると、広島から来ているMと遭遇する。彼もドロップ・アウト組だ。同じように訊ねると、「銀座にあるコピーライター養成学校へ行ってる」と云う。書くことは嫌いでない、彼を喫茶店に誘い詳しく尋ねる。
マスコミには、新聞、テレビ、ラジオ、出版とあるが、最後に広告という分野があると云う。コピーライターは新聞や雑誌、テレビCMやラジオ広告の企画や文案を考える仕事だと教わる。
当時の広告としては、サントリー・オールドのCMが好きだった。外人ばかりが映るCMだったが、コピーが心に沁みた。
「地球が回る。朝が来る。夜がくる。
東に国がある。西に国がある。
男の声が聞こえる。女の声が聞こえる。
笑っている。ささやいている。
グラスが輝く。乾杯の音がする。
凍った音楽のように澄んだ音がする。
男の声が聞こえる。女の声が聞こえる。」
(コピー 東條忠義)
音楽が素晴らしかった。後に知るが、「夜が来る」と云う曲で作曲は小林亜星と聞いた。画面もまるで「望郷 ペペ・ル・モコ」(ジュリアン・デュヴィヴィエ監督)のカスバの酒場を髣髴させた。
みんな落ちこぼれながらも、先の道を捜していた。あせりが充満した。ぼやぼやできない、肺結核の身、ロクな就職先もないだろう。どうせ物書きの才能はない。よし、コピーライターだ。そう心に決めて、「クボセン」こと久保田宣伝研究所の養成講座に通い始めた。
もちろん、夜の学校である。吉祥寺から中央線で東京駅へ行く。東京駅から少し遠いが東銀座の教室まで歩いた。マーケティング講座があり、アメリカの広告を勉強し、コンセプトの作り方を習い、時には色彩学まであった。
テレビやラジオCM練習にはなかなか届かず、まず徹底的にキャッチフレーズの作り方を指導された。「物(商品)の事を言うな、物から離れて、物の事を伝えろ」と禅問答のような講義を受けた。
次にはボディコピーの書き方である。キャッチフレーズが良いと、良いボディができる。キャッチが下手だと、ボディはスペック(商品説明)に堕す。
終わると9時過ぎくらいだったか、銀座とは名ばかりで夜の東銀座は場末であり、街燈も少い。とにかく将来の門を開かなくては、♪ドンドンリンドン シュビダドン オエーエ インヨラーイ♪と、「夜が来る」の曲を口ずさみながら自らを鼓舞していた。
中洲次郎
昭和23年、大分県中津市生まれ。
博報堂OB。書評&映画評家、コラムニスト、エッセイスト。
RKB毎日放送「今日感テレビ」コメンテーター。
近著「伊藤野枝と代準介」(矢野寛治・弦書房)
新刊『反戦映画からの声』(矢野寛治・弦書房)