井の頭公園を散策していると、いろいろな人に出会う。以前にも書いたが、武者小路実篤先生、黒の羽織、着流し、ハット、ラクダの襟巻に、ステッキをついていた。緊張のあまり、すれ違う時、思わず踵をそろえてご挨拶をした。詩人の金子光晴先生は夏で浴衣がけ、尻はしょりをし、ステテコ丸出しで歩いてきた。やはり、条件反射的に踵をそろえてご挨拶をした。
春、無着成恭先生がチャコールグレーの背広姿で歩いてきた。当時私は井の頭四丁目に下宿しており、先生は下宿から直ぐ近くの明星学園に勤務していた。毎夕、彼の「全国こども相談室」(TBSラジオ)を部屋で聴くのが田舎出の私の楽しみだった。先生の山形訛りの「あのねぇ、それはねぇ…」は九州と山形と国は真逆に違っても、柔らかい郷愁を醸し、都会の淋しさを忘れさせてくれた。これが終わると、下宿の晩御飯である。おばさんもこのラジオを聴きながら夕餉を作っていた。
子供と云うが、大学生の私にとっても面白い番組で、今で云うライブであるから、全国の子供達からどんな質問が出るか分からない。回答者は錚々たる方々で、人生の悩みは永六輔先生、体のことはなだいなだ先生、動物や昆虫は矢島稔先生、勉強のことは無着成恭先生、毎日、回答の先生たちは変わったが、無着先生は連日だったように記憶している。
幼い頃、彼が他の先生たちとまとめた「山びこ学校」というクラス43人の生徒の作文集があった。今井正監督が現地にロケをし映画化した。映画『山びこ学校』である。無着先生に木村功が扮していた。
映画の中で子どもたちが「トンコ節」を唄うシーンがある。私も飲み屋の子なので、酔客たちが唄う「トンコ節」を覚えて唄っていた。木村功先生が生徒たちに注意する。大人の歌だから、子供が唄っちゃだめだ、そんな表面的な理由ではない。その歌は家が貧しくて借金のかたに売られていった女の人たちの哀しみがあるから唄わないがいい…と。確かに歌詞に
♪さんざ遊んで ころがして あとでアッサリ つぶす気か♪(作詞・西条八十)とある。歌詞はおもちゃのように扱われる花柳界の女性を描いていた。私も唄うことをやめた。
もうひとつ映画『山びこ学校』の中で、私を驚かせたシーンがあった。仙台へ修学旅行に行く。貧しくて修学旅行どころではないが、クラス皆が助け合って働き、旅行費用を作る。旅館で布団に寝られない子がいる。いつも布団もなく板張りに寝ているから、柔らかすぎて寝られんと云う。私も飲み屋の一角の六畳一間に家族四人で寝ていたが布団はあった。蚤は飛び、一晩中、両親は蚤を追いかけていた。それでも、安布団でも敷いていた。もっと上をいく、本当の貧しさ知らされた。
前方から無着先生が近づいてきた。おっとり、ゆったり、のんびり、にっこり。思わず直立不動の姿勢を取り、踵をそろえてご挨拶をした。
中洲次郎
昭和23年、大分県中津市生まれ。
博報堂OB。書評&映画評家、コラムニスト、エッセイスト。
RKB毎日放送「今日感テレビ」コメンテーター。
近著「伊藤野枝と代準介」(矢野寛治・弦書房)
新刊『反戦映画からの声』(矢野寛治・弦書房)