長谷川法世のはかた宣言62・租庸調

長谷川法世のはかた宣言62・租庸調


海賊がきたのは、博多湾の荒津(西公園下)。奪われたのは、貢調船※1につみこまれていた豊前国の絹綿だ。貢調船とは、調を朝廷におさめるための船だが、はて、調ってなーんだ?

この時代※2には三種類の税があった。租・庸・調※3だ。学校で習ったっけ。租庸調というのは、モノではらう税だった。なにせ、貨幣経済が未発達だったので、税は物納、つまりモノでおさめるしかなかった。で、租庸調のおさらい。

租=収穫物の一部を、神や集団のリーダーにささげる初穂が起源らしい(う~ん、神社の初穂料ってそうなんだ)。収穫した稲の約3%が租。諸国の国府におさめる国税、いまの地方税。

庸=歳役(労働奉仕)10日のかわりに布※4や米を朝廷におさめた。

調=絹をはじめとする繊維製品・海産物・鉱産物など地域の産物。これも朝廷におさめた。

ほかに中男作物といって、未成年男子の税があった。朝廷で必要なものを全国の中男にふりわけたものだ。

男子の課税対象者はつぎのとおり

正丁=22歳~59歳※5
老丁=60歳~64歳
中男=18歳~21歳。

中男は少丁ともいわれた。女性は正丁に対して、正女・丁女・丁妻といわれたりした。少丁に対応するのは少女だって。18から21歳の少女!?

租は、老丁は正丁の半分。調・庸・中男作物は、正丁がまとめて京まで運んだ。正丁からえらばれた運脚(運搬人夫)が、字のとおり脚(徒歩)で運ぶきまりだった。諸国から京までの日程がきまっていて、平安時代の法令集、延喜式の巻24・主計・上にかかれている。以下は抜粋。

河内国=行程1日
伊勢国=行程上4日・下2日(以下上下省く)
常陸国=30日・15日
陸奥国=50日・25日
越前国=7日・4日海路6日
佐渡国=34日・17日海路39日
出雲国=15日・8日
長門国=21日・11日海路23日
土佐国=35日・18日海路25日
大宰府=27日・14日海路30日

原則は陸路のみだが、のちに船の使用を認められた国は、海路日数もかかれている。おしまいの大宰府は、所轄の九州二島(壱岐・対馬)全域の分を、まとめて京へ運んだ。

上り下りで日数がちがうのは、上りは税物を運ぶので日数を多くとってあり、合理的ともいえる。だけど、運脚の食糧は自弁。上りは税物に加えて往復の自分の食糧を運ぶのだから大変だ。運脚隊は官道※6をてくてくてくてく、雨風にさらされ、山賊に怯えながら都をめざした。帰路で行き倒れ※7になる者も多かった。税物は、絹織物から調度品・日用雑器・箸にいたるまで、こまかな規定があり、それが源氏物語の雅びな世界をささえていたということになる。

次回は、豊前の調物の絹綿、さらにわが筑前国の調の具体的な品目など、生涯学習デス。

*1)貢調船…庸・中男作物も運んだ。

*2)この時代…律令時代=大化改新から奈良・平安初期までの約3世紀。あとは摂関時代から荘園時代。海賊の869年は藤原良房が人臣初の摂政となって3年目、律令制崩壊ははじまっていた。

*3)租・庸・調…ほかに仕丁(しちょう:3年間朝廷の雑役の義務。この頃50戸に2人を徴発。50戸で仕丁の生活費を負担)・雑徭(ぞうよう:地方での労働奉仕)、また兵役の義務もあった。女性は国の等級により1~4人が仕女(しじょ:女丁とも)として裁縫などに3年間徴発された。「大鏡」に、内膳司などの仕丁や使部(しぶ)どもがやってきて、人の物を奪い取ったり…(全現代語訳)、とある。

*4)布…麻や葛(かずら)など植物繊維の織物。近世からもめんも。布 絹。上流貴族は全て絹。他はすべて布。

*5)22歳~59歳…年齢規定は時代で変化。ここは海賊襲来当時の規定、のはず。

*6)官道…都から国府への公営道。

*7)行き倒れ…運脚で飢えたり病気になった農民の救済は国司の任務で、正税(しょうぜい:租を国・郡の正倉に蓄えたもの)を使う規定だったが、実態はどうだか。資料本が異なるが、養老2年(718)に帰路の食糧支給をはじめたという。

参考/日本史小百科 租税:佐藤和彦編。
同交通:荒井秀規他:東京堂出版。
日本歴史叢書延喜式:虎尾俊哉:吉川弘文館。
延喜式:国立国会図書館デジタルコレクション。
養老律令(ネット)。
大鏡全現代語訳:保坂弘司:講談社学術文庫。
日本軍事史:高橋典幸他:吉川弘文館。
兵士と軍夫の日清戦争:大谷正:有志舎。

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