博多のことをもっと勉強したい
『ぐらんざ』に16年間執筆いただいています、と伝えると驚いた顔をするのは、本誌、いや博多の顔でもある長谷川法世さん。
「今の『はかた宣言』シリーズになって9年。それでもすごいなあと思っていたけど」と顔をほころばせる。今や学者顔負けに博多のことに精通している法世さんが、勉強を始めたのは漫画の仕事が一区切りついた頃。
「仕事がちょっと空いたときや、体調が悪くて寝ている時間が多くなったときに本を読むようになったんですよ。それでどうせ読むなら博多のことをやろうと。漫画を描いているときって、ストーリーメインで表現していくので、博多のことを描ききれない、しかも毎週締め切りが来るので勉強もできない。無念さ、残念さがありましたね」
今は本誌の1号分を書き上げるため、多いときは10冊以上の文献を読みあさり、大学や博物館に問い合わせることも。徹夜になることもしばしばだ。大変では? と問うと、「いや、面白いんですよ。もっと時間が欲しいくらいですね」と好奇心いっぱいの瞳を輝かせる。
「歴史を調べていると推理小説を読むように、おのずと引き込まれていきます。よくわからないこともたくさんあります。そういう空白があるということは、ストーリーを作ることを商売としてきた人間にとっては漫画のネタがいっぱいあるじゃんって感じる。足りないところを想像力で補うことが楽しいですね」
歴史とつながる現在の福岡・博多
歴史を通して、博多を深く知った法世さんはこうも続けた。
「勉強すればするほど、朝廷の動きと博多が密接につながっていることがどんどん分かってきましたね。地方はどこもそうですが、福岡は大宰府があったから特に朝廷の政策や事件がすぐに影響する。今も国が決めたことが県にいって、市にいく。その流れは変わらないですよ。それに、博多はやっぱり中世の名残が色濃いです。例えば山笠の流(ながれ)にね、今もみんな従うとですよ。山笠は今年で779年の歴史がある、ということは鎌倉時代からずーと山笠をやっていますということだもんね」
現代に生きる私たちにとって、歴史の話と自分たちは別世界という感覚だが、法世さんはそうではないと言う。
「同じですよ。土地があれば、人が住んで、住み続けている人もいる。みんな歴史のことを調べていけば、この場所には、この時代に、この家の何代目がいたということが分かるわけでしょ。博多の町割のほとんども秀吉が整備したまま。博多の縦横に走る道が、一見東西南北のように見えて、実は35度ほど傾いているのは、秀吉が元々の地形と井戸の位置を考慮して作ったからなんですよ」
この先の博多、福岡についても伺った。
「天神ビッグバンもこれから控えていますね。ただ、福岡市は水の問題も抱えています。そういった都市機能がうまく調和しつつ、発展することを祈っています」
と最後を締めくくってくれた。
山﨑智子=文
text:Tomoko Yamasaki