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ハットをかざして 第77話 

ハットをかざして 第77話 


会計学挫折

店の売り上げが厳しいと、母からの手紙が届く。父は追突の交通事故で入院していた。右半身が麻痺していて、文字も書けないと云う。母はひとり店と病院を行き来して奮闘している。今月の手形が落ちるかどうか。毎月毎月、手形という怪物と格闘しなくてはならない。商売は辛いなぁ、やっと払い終えるとまた翌月の手形が手ぐすね引いて待っている。安閑と仕送りをもらうだけで、私はここで何をしているのだろう。何か母の役に立たなくてはと焦れども、身は結核で動かない。ただ下宿の天井板の染みを見つめては輾転としている。穀つぶしの学生の身分を恥じ、あせり、葛藤し、結果、無為な時を過ごしている。机に原稿用紙を広げ、小説の真似事を書き新人賞に応募はしていたが佳作にも掠らない。母の手紙にはそんな夢のようなことは考ず、地に足の着いた勉強をしておくれと書かれている。とても小説の才などある筈もなく、それは自身よく承知していた。

両親はいつも、申告の時期に税務署との攻防に苦労をしていた。会計学を勉強し、家の役にでも立つかとおぼろげに思い始めていた。指導主任が経営学のB教授になった。一回目の授業は必ず自己紹介となる。「出身は大分県中津です」と云うと、教授は急に人なつっこい顔となり、「中津ならよく知っている。扇城女子高(現・東九州龍谷高校)を知っているか、あそこの梅高先生の奥さんは私の叔母だ」と親近感を示した。会計学はT教授の講義を選択した。最初の授業でやはり中津出身だと自己紹介すると、教授は「中津の人間なら、会計学をやるのはよかろう。神戸高商(現・神戸大学)の初代校長で、日本の会計学の基礎を築いたのは水島銕也先生だ。中津出身の偉い人だ」と、自分の師系に当たる教授を誇った。中津の人間は幼い頃から、福澤諭吉のことばかり習ってきた。金谷と云う界隈に水島公園があるのは知っていたが、福澤ほど地元では有名ではない。教授は続けて、「中津の人は福澤ばかり誇って、水島先生をおろそかにしてるなぁ」と嘆息した。

親の役に立とうと、会計学、財務諸表、税法、商法と選択し格闘するが、文系の頭に数系の学問は入ってこない。バランスシートはなんとか作れても、損益計算書がうまくいかない。いろいろな企業の財務諸表を見ても、その読み取り、経営の状況が私には透けて見えてこない。徐々に友に遅れ始め、次第に数字に嫌気がさしてくる。ストマイを射ちながら、また煙の雀荘に出入りをはじめる。

行く末が見えない。代わりに瞼を閉じれば故郷が見える、母が浮かぶ。春だというのに背中が寒い。そうだ、大学を辞めれば、学費も仕送りも要らない。学校を辞めて、店の加勢をするのが最もの親孝行だ。

「そうだ、退学だ」
「何を今さら、どの面下げて、故郷に帰れるもんか」
負け犬の、逃げ腰の、どっちつかずが蹌踉として町を彷徨っている。

鉛色の雨が降ってきた。

中洲次郎
昭和23年、大分県中津市生まれ。
博報堂OB。書評&映画評家、コラムニスト、エッセイスト。
RKB毎日放送「今日感テレビ」コメンテーター。
近著「伊藤野枝と代準介」(矢野寛治・弦書房)
新刊『反戦映画からの声』(矢野寛治・弦書房)

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