「圭順」
北九州市門司区黄金町10-25
午前11時半~午後2時半、水・日曜定休 ラーメン600円
脱サラしてオープンした時の思いは店名に表れている。長男圭哉さん、次男順也さん。2人の息子の頭文字から「圭順」とした。大将の田中洋一さん(63)は言う。「勤め人時代は土日もずっと仕事。子どもにもっと愛情を注ぎたかったんです」。
「サラリーマンの大変さを知っているので、
できるだけ安く提供したい」と田中洋一さん
そんな思いが芽生えたのは、自分自身も親からの愛情を存分に受けたから。圭順のラーメンは洋一さんの父、孝助さんとの思い出が詰まった一杯でもある。
振り返ると父親は常に人生の道標だった。孝助さんは今でいうカーディーラーに勤務。小学生だった洋一少年は、たびたび職場に遊びに行った。時は昭和40年代初め、モータリゼーション興隆期。「2000GTがあって、とにかく格好よかったなあ」。父の背中を追うように同じ車関係の仕事を選んだ。がむしゃらに働き、2人の息子にも恵まれた。
「扇の要のような存在でした」。最愛の父が他界したのは平成11年のこと。2人の息子は小学生になっていた。道標を失ったことは、仕事だけに向いていた自身の人生を見つめ直すきっかけとなった。
「仕事に嫌気がさしていた時期で、脱サラを考えたんです。何かやるならおやじと食べた〝あのラーメン〟しかないと」
あのラーメンとは宮崎真一さん、ミツ子さん夫婦が昭和40年に創業した「一竜軒」(北九州市)の一杯だ。父親の職場近くにあり、2人でよく食べた。その味は格別で、「おやじとお風呂に入っていた時に『あのラーメン屋さんをしたい』って話したこともありました」と思い出す。
洋一さんが、追い求め、つくり続けてきた一杯をいただく。褐色のスープが丼の縁まで並々と注がれている。口当たりはワイルドで濃厚な印象。だが、豚骨と鶏がらだしが、柔らかさと甘みを伴って広がっていく。ちょっとコシを残したストレート麺との相性もいい。そして獣感あふれる余韻が続く。かつて一竜軒(7年前に閉業)を食べたことがあるが、この余韻に共通点を感じる。
「やはり一竜軒に似ていると言われたらうれしいんですよ」
とはいえ、修業したわけではない。仕事を辞めた後、佐賀県唐津市に移っていた一竜軒を訪ねた。宮崎さんに弟子入りを志願したが、「簡単には教えられん」。それでも諦めずに何度も通うと、態度は徐々に変わった。厨房に入り、宮崎さんの隣で見ることだけは許されたのだ。
骨を炊く時間、スープの継ぎ足し方、塩やしょうゆの分量などつくり方を頭にたたき込んだ。スープを持って帰らせてもらい、自宅で試行錯誤を続けた。
圭順のオープンは平成17年。最初の10年は苦労したという。それでも常連客は着実に増えた。一竜軒の名前を出したことはなかったが、「似てる」と言われることも。口コミで評判が広がり、いつしか行列店となっていた。
1度、宮崎さんが来てくれたことがある。帰り際に「おいしかった」と声を掛けてもらった。宮崎さんには父親の姿も重なるといい、「本当にうれしくて、涙が出ましたよ」。
大好きだった父と食べた大好きなラーメン。その味を追い求めた末に行き着いた一杯。丼の中には、父親への愛情も、父としての子どもへの愛情も入っている。その思いは食べ手にも伝わる。
文・写真 小川祥平
1977年生まれ。西日本新聞社出版担当デスク。
著書に「ラーメン記者、九州をすする!」。
「CROSS FM URBAN DUSK」内で月1回ラーメンと音楽を語っている。
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