「宝来軒」
大分県中津市日ノ出町2
午前11時~午後3時 火曜定休
ラーメン800円
「あぁ、大分県北の味だな~」とすするたびに思う。大分県中津市を中心に展開する「宝来軒」の一杯。かつて隣の宇佐市に勤務していたこともあり、懐かしさもこみ上げてくる。特徴はちょっと甘めなスープ。そこに極細麺が合わさる。ご当地ラーメンとして謳われているわけではない。ただ、僕にとっては大分県北地域の味である。
山平政雄さんが中津で創業したのは1958年のこと。大分県で初めてのラーメン店は、54年に日田市にできた「来々軒」とされているので、県内でも屈指の歴史を持つ。現代表で山平さんの孫にあたる直寛さん(52)が創業時のエピソードを教えてくれた。「ある日、祖父とその兄弟2人が集まって味を考えたのが始まりだそうです」。
宝来軒別府店の前に立つ山平直寛さん
兄弟とは山平兵策さんと梅本勝司さん。中津でのれんを掲げた政雄さんに2人は続いた。61年に梅本さんが大分県別府市で、兵策さんが福岡県豊前市で、それぞれ「宝来軒」を開いている。なぜ兄弟たちは、当時まだ珍しかったラーメンに勝負をかけたのか? 「甥っ子がラーメンで売れていた。そこに嫉妬したんだと思います」。直寛さんはそう教えてくれた。
甥っ子の名は山平進さん。博多ラーメンの草分けとして知られる人物である。彼は、戦後間もない頃、知人の津田茂さんとともに満州のスープ料理を参考にして豚骨ラーメンを完成させた。昭和20年代、進さんが「博龍軒」、津田さんが「赤のれん」を福岡市にそれぞれ開業。ともに今も続く老舗であり、博多ラーメンの源流として歴史にその名は刻まれている。
「祖父は戦後、和食の料理人をしていました。『甥っ子よりうまいものをつくれる』というプライドがあったと思います」と直寛さん。
スープには豚骨、鶏がら、牛骨を使った。甘めな味わいは牛骨由来のものだ。昔から基本的なつくりかたは変えていない。3種の骨を五右衛門釜に入れて、強力なバーナーで炊いていく。かつて博龍軒の進さんの妻、ミヨ子さんを取材したことがあるが、その際に聞いた製法と似ている。さらに梅本さんは開業前に福岡県志免町の「三洋軒」で修業した経験を持つ。炭鉱町の人気店にも影響を受けたかもしれない。
それでいて、赤のれんとも、博龍軒とも、三洋軒とも違う。政雄さんのアレンジが加えられ、独自の味が華開いたのだろう。
直寛さんは28歳で店に入るようになった。麺の習得は3年、スープは10年かかったという。味や技術とともに知るようになったのが宝来軒の歴史だった。「まさか博多とのつながりがあるとは、思いもしなかったです」。お客さんに教えられたり、両親に聞いたり。年を重ねるにつれ、のれんの重さを実感するようになった。
今は宝来軒の代表として看板を背負う立場になった。「受け継いだ味をしっかり出して、店を続けていくことがライフワークです」。味を守ることは、歴史を守ることでもあるのだ。
文・写真 小川祥平
1977年生まれ。西日本新聞社出版担当デスク。
著書に「ラーメン記者、九州をすする!」。「CROSS FM URBAN DUSK」内で月1回ラーメンと音楽を語っている。
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