
いつか必ず歩き出せる
「○○が永眠致したため、新年のご挨拶をご遠慮させて頂きます」。今年も喪中はがきが沢山届いた。その一枚、後輩Aのはがきには次のような添え書きがあった。
「母はいつも陽気な人でした。私の方から年賀状は出せませんが、勝手を言いますなら先輩からはぜひ賀状を頂き、母の笑顔を思い出す明るい正月にしたいと存じます」
その昔、後輩の自宅に行くと、母上がいつも歓待してくれた。そうなのだ。あのお母さんのためにも、喪中だからこそ、来る年への夢と希望を書いてもいいのではないか。そんな思いに動かされて賀状を投函したのだった。
冬の到来で、家の庭の木々もすっかり姿を変えた。二本のサクラも、名前も知らない他の木もすべての葉を落としてしまった。
その落ち葉が冬の日差しを弱々しく跳ね返している。やがては腐葉土となって後の生命の素になるのだろう。自然のこうした営みを見るにつけ、生まれ、成長し、老い、そして土に還る命の循環を深く感じるのである。
流通ジャーナリストだった金子哲雄さんが41歳の若さで亡くなったのは昨年十月。妻の稚子さんが直近の『PHP』12月号に寄せた一文を目にした。
「夫の死後、発作のように襲ってくる恐怖や悲しみといった負の感情をどうすることもできませんでした。ところが、春先のある日、公園を歩いていて、目の高さに小さなサクラの蕾を見つけました。何度か通っていたある日、この蕾を見て唐突に実感したのです。恐怖、悲しみが私から浮き上がった、と」
「この時、私の心を一杯にしていたのは、自分がどれほど悲しかろうと、こうして時は流れ、必ず春が来て、花は咲くのだという思いでした」
「人の人生がどんなに移り変わっても、こうして季節は巡る…というような諦観ではありません。どんなことがあっても、ぶれないこのリズムを感じることができれば、私はまた戻ってこられる、と分かったのです。音楽のメトロノームのようなものでしょうか」
「私は今も心が苦しくなると、この公園を歩きます。ぶれないこのリズムを感じ、身を委ねることが出来るまで」
久しぶりに街を歩いた。街路樹が北風に敢然と立ち向かっていた。すべての葉をそぎ落とし、裸の自分をさらした冬木立。新緑の季節にはない、もうひとつの命の循環をそこに見つけた。
人は悲しみの場所からいつか必ず歩き出せる存在なのである。
馬場周一郎=文(ジャーナリスト。元西日本新聞記者)
幸尾螢水=イラスト