「餃子菜館 万徳」
長崎市銅座町2-2
午前11時半~午後2時、5時半~9時。日曜定休
担々麺1,000円、水餃子550円
最初はその挑戦的な立地に驚いた。「餃子菜館 万徳」があるのは、長崎市の名所、新地中華街のほど近く。その場所で同じく中華というジャンルで勝負する。さらに言うと、微妙に外れた裏通りにあり、中華街目的で訪れた人は、おそらく足を向けないだろう。「来る人は来る」とでも言いたげな立地なのだ。
こう書くと、「頑固おやじ」の店主を想像するかもしれないが、崔万清さん(61)は全く逆のタイプで、柔らかな印象だった。
「中華街は砂糖の産地である福建省の人が多くて料理は甘い。うちとは違うね」と笑顔で言う。向こうが福建なら、こちらは北京。向こうが甘いなら、こちらは辛いのだ。
中国・北京の生まれ。昭和の終わり頃、留学のため来日し、日本に残って就職した。ある日、自宅に招いた友人に水餃子をつくったところ「店をやったほうがいい」と絶賛された。その言葉に動かされて、1996年に開業したのだった。
確かに崔さんの水餃子はうまい。手作りの皮は、もっちりしていて、中身が詰まった大ぶりタイプ。一口かじると、肉汁が、じゅわ~っと出てくる。よくある餡とは違って、中華スパイスの香りをまとっている。この逸品に気づき、背中を押してくれた崔さんの友人に拍手を送りたくなる。
「でも、最初は全く売れなかったね」と崔さん。本場の味に現地の人たちは戸惑ったのだろう。しかも、長崎は江戸時代、輸入した砂糖が運ばれた「シュガーロード」の出発点でもあった。南蛮菓子はもちろん、名物の皿うどんまで、とにかく甘い。そんな「甘さが正義」の土地柄で、辛い料理で勝負するのだから、売れなかったのは当然かもしれない。
「ぼくのは、北京で食べてた料理だから。日本風にしようと思えばできたけど、そんなことはしないね」。売れなくとも、自分の味を貫いた。地元の人たちがその魅力に気付き始めたのは、8年ほど前という。特に人気の品が〝カラシビ〟を容赦なく感じることができる担々麺だ。
普通でも辛いが「大辛」など選ぼうものなら、スタッフも厨房から客席に逃げだす。平気な顔をした崔さんは「ぼくは感覚がまひしてるから」。そう言って鍋を振ると、花椒の「麻」(シビ)が店内に充満する。真っ赤なスープに顔を近づけると唐辛子の「辣」(カラ)が来た。長い細麺に辛みとスープが絡まる。時折むせるほどの刺激がくるものの、スルリといけるから不思議だ。唐辛子、花椒、八角、クミン…。十数種類のスパイスが入った辛みそに鶏がらスープを合わせた担々麺は、辛さだけではない。うまみ、深みが土台にあるからおいしいのだろう。
「四川の人も『こっちの方がうまい』と言いますよ」と崔万清さん
今や万徳は行列店となった。忙しくなったが、崔さんは全く変わらない。いつも物腰が柔らかく、客には気さくに話しかけてくれる。
先日のある週末に訪ねると「V・ファーレン応援のため、お休みいたします」と、店頭に張り紙があった。そういえば、崔さんは地元プロサッカーチームの熱烈なサポーターだった。週末営業よりもサッカー。どこまでも自分を貫く姿に、崔さんはやはり「頑固おやじ」なのかもしれないと思う。
文・写真小川祥平
1977年生まれ。ラーメン記者、編集者。
著書に「ラーメン記者、九州をすする!」。「CROSS FM URBAN DUSK」内で月1回ラーメンと音楽を語っている。ツイッターは@figment2K