二十代の半ば頃から、プレゼンテーションというのが増えてきた。同業社との競合プレゼンが増えたせいでもある。少なくて3社競合、多ければ8社、その中を勝ち抜かなくてはならない。営業人は話術に長けたものが多いが、クリエイターとくにコピーライターはどちらかといえば口下手で無口の方である。だから、制作職になったのだ。
時代は徐々に、企画アイデアの良い会社にメディア費媒体料まで付けると云う勝負になってきた。勝てば新聞広告、テレビオンエアー料、ラジオ、雑誌、ポスターほか印刷物、車内吊り、店頭のPOPまで手中にできる。大きい額のキャンペーンともなれば会社全体で総力を結集することとなる。
チームを組み、クライアントのオリエンテーションの真意を吟味し、与えられた予算を勘案し、徹夜徹夜でアイデアを抽出し、最後に3案ほどに絞る。その案を担当の営業部長や局長、部門TOPに上げる。3案とも全滅することはざらで、捨てた案もすべて晒(さら)す。そこから1、2案拾われ、もう1案をまた一から考える。プレゼン日当日の朝まで、カンプ(完成見本)や絵コンテの仕上げ、このアイデアに至ったコンセプト・ワークの軌跡を分かりやすく簡明にチャートに仕上げていく。
ここが問題である。私はソファー・プレゼンならなんとか大丈夫だが、大プレゼンとなると、日頃お会いできない社長以下役員のお歴々が一堂に会している。緊張で膝が震える。酸欠になる。この場を逃げ出したくなる。つまり強度の「あがり症」なのである。第一声がでない。出ても声がスットンキョウに上ずり、喉と唇が震える。頭の中が真っ白になり、云うべきことを忘れてしまう。奇妙な間ができる。長引くと絶句である。絶句すると、弁慶の立ち往生で相手がざわつき始める。
一度、そのように陥った時、最前列中央の社長が、「中洲くん、ま、落ち着いて、ゆーくり説明してください」の声が掛かった。その助け船で落ち着いた。上ずりもシドロモドロも突然治り、なんとか狙いを説明することができた。
それから「あがる」という事はどういうことかを研究した。あがるとは「肩があがる。顎があがる。」ことに気が付いた。緊張すると肩がすぼまり、両肩が上にあがる。よって丹田に力がはいらず、「気」を失くしてしまう。顎が上がると、喉がすぼまり、声が上ずる。大きな舞台で説明するときは、肩を下げ、顎を引けば、声質も低音となり上がらない。ま、それより何より大切なことは、頭文字を取りJR(準備とリハーサル)を怠らないこと。あとANA(明るく、ニッコリ、あせらずに)である。
若き日、苦吟しながら無理にでも笑顔を作って、ライドオン(乗ってけ)、ライドオンと「あがり症」を乗り越えてきた。
中洲次郎=文
text:Jiro Nakasu
昭和23年、大分県中津市生まれ。
博報堂OB。書評&映画評家、コラムニスト、エッセイスト。
近著「伊藤野枝と代準介」(矢野寛治・弦書房)
『反戦映画からの声』(矢野寛治・弦書房)
新刊『団塊ボーイの東京』(矢野寛治・弦書房)
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やましたやすよし=イラスト
Illustration:Yasuyoshi Yamashita